間之町(あいのまち)通り

間之町通の基本情報と場所

間之町通は、京都市中京区から下京区にかけて南北に延びる通り。全長は約3.1kmで、北は丸太町通、南は七条通まで続く。途中に道が途切れる区間があるため、一直線に歩けるわけではない。

西に東洞院通、東に高倉通が並び、その間を縫うように通っている。大きな通りに挟まれた、ちょっと控えめな存在だ。

間之町通の読み方は「あいのまちどおり」

初めて見ると「まのまち?」と読んでしまいそうだけれど、正しくは「あいのまちどおり」。京都の通り名には難読なものが多いが、これもそのひとつ。覚えておくと、京都通らしさが少し増す。

間之町通は丸太町通から七条通まで続く

北は京都御苑南側の丸太町通から始まり、南へ向かって七条通方面へ延びる。中京区の御所南エリアから、下京区の市街地へと移り変わるため、歩く場所によって町の雰囲気も変わっていく。

ただし、姉小路通と高辻通の間、松原通と万寿寺通の間には道が途切れる区間がある。地図ではつながって見えても、実際に歩くと少し迂回が必要になるのも特徴だ。

間之町通の歴史は豊臣秀吉の京都改造から始まった

間之町通の歴史をたどると、豊臣秀吉が進めた京都の都市改造に行き着く。平安京の時代からあった古い通りではなく、後の時代に新しく開かれた町筋。京都の碁盤の目にも、時代とともに新しい道が加わっていったことがわかる。

豊臣秀吉の都市改造で生まれた通り

間之町通は、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による京都の都市改造の際に開かれたとされる。

平安京の道路計画にはもともと存在しなかった通りで、東洞院通と高倉通の間に新たな町筋が形成された。戦乱などで変化していた京都の町並みが整えられていくなかで、間之町通も誕生したというわけだ。

間之町という名前の由来

名前の由来については、江戸時代の宝暦12年(1762年)に刊行された『京町鑑』に記述が残されている。

そこには、東洞院と高倉の間にあることから「間の町」と呼ばれるようになったという趣旨が記されている。

まさに、場所をそのまま名前にしたようなもの。飾り気のない名付け方だけれど、京都の町らしい合理的な由来だ。

京都御苑の拡張によって変わった北側の町並み

かつて間之町通は、現在の丸太町通より北の上長者町付近まで続いていたとされる。しかし、宝永5年(1708年)の大火後、御所の敷地が広がったことで北側の通りは閉ざされた。

その際、周辺にあった町家は鴨川東側の仁王門付近へ移されたと『坊目誌』に記録されている。現在の「新間之町」という地名にも、その歴史の名残がうかがえる。

「糖太朗」

間之町通を歩くなら、ぜひ立ち寄りたいのが五条エリアにある砂糖専門店「糖太朗(とうたろう)」。砂糖を単なる甘味料ではなく、素材そのものの味わいとして楽しませてくれるお店だ。

砂糖が主役になる専門店「糖太朗」

2023年3月にオープンした糖太朗は、京都・嵐山の日本茶専門店「八十八良葉舎」を手がける株式会社roomが展開するスペシャルティシュガーショップ。

一般的な白砂糖とは異なり、精製前の含蜜糖を中心に、和三盆や黒糖など、素材ごとの風味を大切にしている。

砂糖といえば、料理やお菓子に加える脇役というイメージがあるけれど、ここでは砂糖そのものが主役。種類によって異なる香りやコク、甘さの違いを楽しめる。

築約100年の京町家を生かした空間

お店は築約100年の古民家を改装した建物。土壁や間取りを生かしながら、昔ながらの雰囲気を残した空間になっている。

店内は立ちカウンターが中心。古い建物の趣と、砂糖の新しい楽しみ方が組み合わさっているのも魅力だ。

和三盆の白玉アイスやこだわりのドリンク

人気の白玉アイスは、もちもちの白玉に和三盆の糖蜜を合わせた一品。仕上げに目の前で和三盆をかけてもらえるのも楽しい。

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