
茶碗坂は清水寺へ続く約200mの「焼きものの道」
短い坂なのに、名前の背景はかなり深い。茶碗坂と呼ばれる理由をたどると、奈良時代の行基から京焼・清水焼の発展、そして近代の陶芸家までつながっていく。
行基がこの地で製陶したという伝承
京都府は、京都のやきものの歴史を1200年以上前にさかのぼるとし、奈良時代に僧・行基が清閑寺村に窯を築いて土器を製造し、その遺跡が「茶碗坂」と呼ばれていると紹介している。
京都陶磁器協同組合連合会も、聖武天皇の時代に行基が清閑寺村で窯を築いたという説を紹介している。
以前は「清水新道」と呼ばれていた
茶わん坂の作家インタビューでは、近藤濶氏が、大正11年頃まではこのあたりが「清水新道一丁目」と呼ばれていたと語っている。
「清水新道」という名前では、この場所が焼きものの町だと分かりにくい。
そこで、清水焼の町としての個性を前面に出す名前として「ちゃわん坂」が考えられたという。
近藤悠三が「ちゃわん坂」の名前に関わった
名前の由来を語るうえで欠かせないのが陶芸家・近藤悠三。
京都市によれば、近藤悠三は染付技法で重要無形文化財保持者に認定された、日本を代表する陶芸家の一人。
茶わん坂のインタビューでは、近藤悠三が「女坂」「二年坂」「三年坂」に続いて「ちゃわん坂」という名前を考えたことが語られている。坂の入口にある石碑の文字も近藤悠三の筆によるものとされる。
ここは記事の中でもかなり面白いポイント。
「茶碗坂という名前だから昔からそう呼ばれていた」ではなく、焼きものの町としての未来を考えて名付けられた坂だった。





